こんにちは。
ボクがArthur Jensenの研究論文をマトモに読んだのは、たしか1990年代初期のアメリカにいたときだった。ジェンセンは、人間の光に対する反応速度という、否定できないような単純な速度を知能と比較した。結果的に、それは大きな相関をしているからには、何か理由がある。
その後、知能を調べるペーパーテスト、例えば「京大AX」や「ウェクスラー成人知能検査」などはリアルに扱ってみたことが何度もあるが、「まあ そんなもんだろう」と感じていた。
それで何年か前に、マイケル・ウドリーとロンドンで会った時に、彼が「色の識別」、「音程の識別」というテストに興味を持っていることを知ったが、その時は「ン?」って感じ。
「色の識別ができること、あるいは絶対音感のような音程の識別が上手くできたって、それがどうしたことなんだろう??_」という感じは、誰でもあるんじゃないのだろうか。あるいは、直感的に理解しないボクがとんでもなくバカなのか、、、、
実際、過去のデータを見ると、「色彩識別テスト」と「音程識別」テストは、知能と大きな相関がある。スピアマンが100年前に報告しているところでは、学業成績と同じほどなのだ(0.7くらい)。
ウーン、昔からボクはキーボードの前で、自分が覚えている(はずの)バッハのカノンの音程を完全に再現できなくて困ったことが度々あったが、それはある種の知能の低さなのだ。
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で、話はそれるが、いつも(酔っ払いながら)聴いているカシオペアの野呂一生さんは、「ドレミファソラシド」ではなくて、「ドデレリミファフィソサラチシ」という12音階を小学校の時から覚えたんだそうだ。ナルホド、、、、、間違いなく意味のある音楽教育だし、実にジャズにふさわしい、、
12音階については、平均律という概念を含めて、当然にいろいろと深い話がある。それはともかく、自然にそういう音階の違いを理解できる能力というのは、トンデモなく素晴らしい!!
そういう知覚の能力が次第になくなっていくなら、それはつまり文明が衰退するということなのだろう。
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とバッハについては書いたが、ここでクソ-ッ、酔っ払ってきた。色彩識別についてのフェルメールのラピスラズリの青さの話を書くことができなくなってきた。これについては、また後日!!
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