- 作者: レイモンド・フィスマン,エドワード・ミゲル,溝口哲郎,田村勝省
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2014/02/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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友人が教えてくれたのが、この本。まだ読んでいないのだが、思うところを少し。
いつも、授業で教える内容に、囚人のジレンマゲームがある。これは、互いに協力すれば、より大きな利益が得られるのに、協力を強制する方法が無いために、相互に裏切るという手段が合理的になってしまい、結果として合理主義者は裏切るというもの。
でも、こうした一回きりのゲームというのは、人生ではほとんど存在していない。そのため、通常の人は、裏切りを選ばないことが多い。これは経済ゲームの実験では、よく知られている。つまり、人間の心には、進化論の力によって、繰り返しゲームでの最大化行動が組み込まれている傾向があって、むしろ、デフォールトでは「相互に信じる」という行動のほうが普通だということ。
実際、いつも授業では、ゲームの利得構造を、徹底的に説明するが、それでも多くの学生は「一回きり」というゲームの利得構造のルールに納得しないことが多い。
だが反対に、人間というのは、本当に「一回きりのゲームでは、裏切らない」ものなのか??
賄賂を受け取る役人は、何時の時代にもいた。
考えて見れば、人生は一回きりのゲーム、人生ゲームなのであり、そこで権力を握ったものは、支配民を虐げてきたのもまた人間の歴史だろう。とすれば、支配者と被支配者のゲームは、裏切り合うというのが、確かに普通であったとも考えることができる。
結局、こうした水掛け論はあまり意味がない。なぜかつては世界のすべてで、賄賂がはびこっていて、腐敗した役人が多かったのか? なぜ、いまも途上国では、腐敗がなくならないのか?
あるいは、その反対に、なぜヨーロッパでは、そうした官僚の腐敗がほとんどなくなっていったのか? なぜ、「法の支配」などという理念が広く信じられるようになったのか? なぜ、民主主義などという特異な統治形態が主流化したのか?
本当にフシギなことだ。
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