kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

コンチュウ食 3

さて、いつもボクは、保守主義の基底的なメカニズムとして、未知なるものへの恐怖、現状維持の願い、などがあることを報告してきました。Costa & MaCrae のBig Five Factorでいうなら、Openness to Experienceが低くて、Conscientiousness が高いという性格になります。


この区分からすると、コンチュウ食が、Open-mindedであることは明らかで、保守主義の反対になると思います。とすると、FAOによるレポートが、オランダ人研究者などによることは理由があるのでしょう。


しかし、翻って なぜコンチュウを食うことがそんなにキモいと感じられるのでしょうか?


ハエやウジはどう考えても、気持ち悪いところにいて、腐敗物を食べているし、体に悪そうです。同じく、蚊についても感染症にも関係してきていることも明らかで、おまけにイヤな存在です。この考えからすると、ヨーロッパ人にかぎらず、日本人の感覚からしてもコンチュウはキモいというのはよく分かります。(まあ、ハチはけっこうカッコイイですが。)


しかし、それを乗り越えるのが、おそらくOpennessというものなのでしょう。ボクもWanna be vegitarianismに続いて、今後はゆるゆると実践していくつもりです。


これに関連して、ハンセン病やポリオ、その他の感染症も似たようなものです。それに近づくことは、近代以前においては非常に危険だったし、現在でも危険でしょう。だからこそ、人間は普通ではない状態にある人びとを毛嫌いしてきたのです。ここには、明らかに適応価に資してきた進化論的な理由があります。


だからと言って、現在において、彼らに対して不合理に恐れおののくことはないはずです。つまるところ、こうしたおどろおどろしい人智を超えたように感じられる症例でも、結局は、単なる感染症の結果にすぎないのですから。


こうした理性の光を当てる、割り切った態度こそが「合理主義」なのであり、ボクの同感、共感するところです。それは意味もなく恐れるという不合理を超えた感覚であり、保守主義とは正反対のものです。


こうした感覚を、読者の皆さんとも、ぜひとも共有したいものです。
人間は そうして前進してきたのではないのでしょうか。



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