- 作者: リチャード・セイラー,キャス・サンスティーン,遠藤真美
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2009/07/09
- メディア: 単行本
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Kahneman はフレーミングはとても重要だというが、以下はその一例。
ヨーロッパでは、燃費表示が100Kmあたり何リットルだ、と書いてある。クルマ好きな人はよく知っていると思うが。これは最近のユーロ諸国の規制に沿ったものだ。これに対して、日本やアメリカでは、昔からの表記を維持していて、1リットルあたり何キロ、1ガロンあたり何マイル、と書いている。
この違いは、なぜ生じたのか? を考えてみよう。
リッターあたり5キロのランドクルーザーを7キロのプラドにするのと、リッターあたり20キロの旧プリウスを30キロのアクアにするのでは、どちらがグリーンな地球を実現するだろうか?
一見して5キロが7キロにするのは、2キロしか増えていないし、1,4倍の燃費の改善だ。それに対して、20キロが30キロになれば、10キロの改善で1,5倍となるので、後者のほうが良さそうだということになる。
さて、仮に年間1万キロ走るとすると、前者の変更では 2000リットル−1430リットル=570リットル。 で、後者の変更では500リットル−333リットル=167リットル ということで、圧倒的に前者が重要だということがわかる。つまり、燃費の著しく悪い車の改善こそが重要であるわけだ。
この事実は、リッターあたり、という記述では大分の計算が必要だが、100キロあたりだと、20リットルから14,3リットル、つまり5,7リットルの変化。 後者では、5リットルから3,3リットルへの変化ということで、前者が重要なことがほとんど一目瞭然となる。これこそが、ユーロ表示の利点であり、つまり政府が人びとの購買活動を後押し、nudge しているということなのだ。
まあ、オレは地球のことなんかどうでもいいね、という人もいると思うし、それはそれで結構だが、燃費は維持費にも関係しているから、燃費というものを表示するのなら、100キロあたりという方が、そうしたアンチの人たちをも利するはず。
アメリカでも13年からは、100マイルあたり何ガロン、というヨーロッパ式に変更されるという。オバマ政権に入ったCass Sunstein が提言したのだという。なるほど、僕はこうしたnudgeには賛成だ。
ついでに臓器移植を免許証に表示して、opt-out式にすれば、ほとんどのひとが臓器移植を許容するということも、世界的によく知られている。僕はこれにも賛成だ。免許更新講習などという、(諸外国ではやっていないような)まったく無駄なことを金をとって、天下り警官がやること自体は問題だが、どうせ免許というものを発行するなら、そこに記述するのは自然だ。
本当のところ、こうしたコストのほとんどかからない政策というのは少ないと思うが、こうした例では僕も政府活動の改善はもっと探られるべきなのだろうと思う。
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