今日、たまたまニュースを見ていたら、大相撲の八百長がバレて、来場所をやめるとか言っていた。僕は、こういったことにあんまり興味はないのだけれど、フシギに思うところを書いてみよう。
まず、多くの経済学者は、レヴィットが「ヤバい経済学」で、7勝7敗の力士の取り組み結果に大きな偏りがあることを指摘していることを知っていたはず。なので、ヤオチョウが存在してことに疑いは持っていなかったと思う。日刊スポーツも書いている。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110205-733266.html
週刊ポストなんかは、大昔から八百長問題を報じていたが、僕にとっては、「ヤバい」での話は最も説得力があった。
しかし、別に相撲協会が「ヤバい」で大揺れしてはいないから、多くの人は統計的なデータには納得していなかったのか? どうも人びと、あるいはマスコミの問題意識の所在は、(いつもながら)僕にはよくわからない。
次に「なぜ見世物でしかない相撲に八百長があったことが、問題なのか?」は、もっと難しい。プロレスは見るからに八百長だが、別にそれで興行中止という話は聞かないので、もう少し、相撲をスポーツだと捉えていたということなのだろうか。
そうかもしれないし、そうでないのかもしれないが、大相撲が国技として税制上、優遇されていることこと、あるいは(事実上税金で運営されている)NHKに放送されていることのほうが大きなことのようだ。ついでに言えば、天皇杯というのも国技というのも無意味で有害、不必要な概念だ。
つまるところ、国家があまりに多くのことをやり過ぎていること、その中には(八百長を含んだ)見世物までも表彰するというのがあることが問題なのだろう。神道固有の活動として、伊勢神宮での横綱の奉納相撲があっても問題はないはずだ。僕は正直なところ、白鵬はけっこうな人物だと思っているし、ほとんどの幕内力士が外国出身なのも自然なことだと思っている。
宗教法人や公益法人制度、あるいはスポーツ・文化事業への国家活動、予算での関与そのものをやめるべきなのだ。