kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

kindle DX が届いた。

日本に帰ってきてから、キンドルを使っていなかったのだが、一念発起して、キンドルDX日本版を買ってみた。これは前のDXよりもコントラストが上がっているということだが、それよりも僕は、反応速度がほんの少し早くなっているのに満足した。


とにかく初代キンドルの動きはスローに過ぎて、イライラしたが、それほどでもなくなったのは、結構なことだ。


さて、僕は90年代にアメリカで学んでいたときは、経済学の本がほとんどだったが、今はもっと広い分野の一般人向けの本をたくさん読むようになった。いくつかの分野、例えば、ヴェジタリアズムなどについては、日本語以上に英語の一般書籍を読んでいたりする。


自分が若かったころには、専門の知識以外を英語から得ようなどとは思わなかった。僕は英語を読むのが苦手で、おそらく日本語の3番くらいは時間がかかるからだ。だが、今はキンドルのせいで、だいぶ英語の本に侵食されている。今すぐにダウンロード出来るというのは、書店に行く時間を考えれば、だいぶ魅力的なのだ。おそらく同じような内容の本は日本語では読まないだろうから、キンドルとアマゾンの存在は、ほんの少し、僕に取って英語の優越性を高めているだろう。


しかし、これは僕に限ったことではないと思う。おそらくフランス語やドイツ語、スペイン語などのローカル言語で著作権の保護、その他で反対意見が大きいところほど、結局は言語による出版自体が(英語に比べて相対的に)衰退するのではないだろうか。もちろん、これまでに十分書いてきた老人著者の利権は守られるのかもしれないが、それが翻って現地文化全体のためになるのかはほとんど疑わしい。