kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

理性と知性の限界

先月、僕が本屋を歩いていると、高橋昌一郎さんの「知性の限界」という本を見つけました。2008年に僕は同じように本屋で見かけた、高橋さんの「理性の限界」を読んで、ひどく面白いと感じて、激賞の書評をアマゾンに書きました。


実際、僕は学生時代から長い間、「完全な金融予測理論というもの存在し得えるのか?」というありがちな疑問に対して、ゲーデルの定理が否定的な直感を与えているのではないか、とか、あるいはもっと一般的なゲーム理論に置いても同じような(ナッシュ以外の)解の不存在の証明に続くのではないかとか、考えてきたという経緯がありました。


ゲーデル不完全性定理とアローの不可能性定理、ハイゼンベルク不確定性原理は、もちろんそれぞれ完全に独立したものですが、どこか通底する部分があるように感じていたのを、僕なんかではなし得ないレベルで高橋さんは、短く華麗にまとめてあったのです。


で、「知性の限界」もトットと買って読んでみたところ、前作よりも話題そのもののまとまりはなくなっていましたが、その分、タースキー・クワインなどの言語哲学ニューカムパラドックスなどの予測問題、ソーカル事件構造主義哲学、その他の種々雑多な哲学的な話題が盛り込んであって、かえって別の面白さを感じました。特に科学哲学の部分が、短く読みやすく、かつヴィトゲンシュタインポパー、ファイアーアーベントなどのスターのエピソードを含めて、まとまっているのです。


僕自身も昔から、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」から、ポパー、クーン、ラカトシュ、ファイアーアーベントと、ごく普通に読んできました。しかし、それぞれがたいへんな知性であることもあって、専門にするわけでもないのなら、あまり細かく分析するよりも、ザザッと概説された方が思考経済に合致するかと思います。


(僕にとっては)不思議なことに、その2,3日後に大学に行くと、高橋さんから一冊「知性の限界」が届いていました。前作を激賞したので送ってくれたのでしょう。トンデモ本は時々もらう僕ですが、マトモな本をもらえることはほとんどあまりせん。ありがたい話です。というわけで、僕は今2冊の本を持っているので、近いうちに友人に譲ろうと思っています。


哲学は検証という概念などもなく、無意味といえば無意味なのですが、科学や思考そのものを考える上では、興味深いエンターテイメントだと思っています。あるいはいつの日か、知性や知能の解明に一助となるかもしれないし、そうでないとしても、多くの人が「観念論哲学」「構造主義哲学」などの欺瞞的な言葉遊びの空虚を超越して、真の哲学を楽しむのは素晴らしいことだと思っています。


やや似たような話としては、タレブの「ブラック・スワン」もまた最近読んだ哲学書の中では、ひじょうに印象深いものでした。その科学と哲学への興味の範囲と理解は深く、尊敬に値します。タレブという人はしかし、はるかにニヒリスト、あるいはダダイストなのだと感じました。なお、この点、評価は若干異なる部分もありますが、kyuuriさんも同じ方向性の興味をお持ちのようだと認識しています。


結局はジコマンなのでしょうが、(こうした僕好みのハイ・カルチャーの一部として)「理性の限界」「知性の限界」をみなさんにもオススメします。必ずや、一読する程度の価値は最低限あると思います。