kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

見えるものと見えないもの 5章

日経に限らず、新聞を読んでいると、
この政策で??万の職が作り出される。
あるいは、??万の職がなくなる。


といった風にかかれるが、経済学に明るい人には釈迦に説法だが、
こういう表現は一般均衡の発想からはバカげたものだ。
ある種の職業につかなかった人は、別の種類の職業につくだけだ。
このケインズ主義的な発想を、caplanは make-work bias 職作りのバイアスと呼んでいるが、
なるほどこれは広く普遍的なものなのだろう。


僕は愚かにも、こういった発想はケインズが広めたのかと思っていたが、
バスティアを読むと、それがはるか昔、19世紀にhすでに一般化していたことがわかる。
実に人間の認識とは普遍的なものなのだろう。


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5.公共事業

公共事業が地域に有益であることを確認した後に、さらに一般的な評価を行うことほど自然なことはない。しかし白状するが、そういったプロジェクトを支持するために経済的な大間違いが述べられるのを聞くと、私は決して黙っていられない。「その上、事業は労働者に仕事を作り出すのです。」
国家が道を開き、宮殿を建て、街路を真っ直ぐにして、用水路を造ることは、ある種の労働者に職を与えることになる、――これは見えるものだ。しかし、それは別の労働者から仕事を奪っており、それは見えないものだ。

道路が始まる。千人の労働者が毎朝やって来て、夕方には労賃を持って帰ってゆく、――それは間違いない。もしも道路が命令されなかったとするなら、支出が可決されなかったとするなら、これらの善良なる人々はそこでは仕事も賃金も得ることはない、それもまた間違いない。

しかし、これがすべてなのだろうか? 全体としての活動は何か違うものを含んでいないのだろうか?
M・デュパンが高らかに「立法院は可決した」と宣言する瞬間に、フォールやビノーの金庫に何百万フランが、月の光に乗って奇跡のように降りてくるのだろうか?(訳注:それぞれ当時の立法議会議長、財務大臣、公共事業大臣。)進歩が実現する際には、よく言われるように支出と同じように、政府は歳入まで準備計画してはならないのだろうか?
徴税人を徴収に当てるように、納税者を納税に当ててはならないのだろうか?
ここで、問題の両側面を見てもらいたい。国家によって可決された大金の使途について述べるのであれば、同じように、納税者が使う予定であったが、使えなくなった用途への言及を忘れないでもらいたい。つまり、両側面のある一枚のコインであることがわかるだろう。一面にはそれによって利用された労働があり、それは見えるものだ。その反対の面には、それによって使われなくなった労働があり、それは見えないものだ。

この著作が反駁しようとしているこの詭弁は、公共事業に使われたときにはいっそう危険である。なぜなら、それは度を越した事業や贅沢を正当化することに役立つからだ。鉄道や橋梁が本当に有用であるときは、その有用性のみを述べればよい。しかし有用性がなければどうするのだろうか?
神秘化に頼ることになるのだ、「私たちは労働者に仕事を見つけなければならない。」

これによって、シャン・ド・マルスの下水が造られて埋められるという命令が下される。ナポレオンは溝を掘った後に埋め立てることによって、非常に博愛的な事業をしていたと言われる。それゆえ彼は言った、「その結果の何が重要なのだろうか?私たちが見たいのは、富が労働者階級にまで行き渡ることなのだ。」

しかし、この事象の根本にまで遡って見よう。私たちはお金によって欺かれている。金銭において、公共事業にすべての市民の協力を要求するということは、実際には一種類の協力を要求するということになる。なぜなら各人はその労働において課税されて、その金銭を調達するからである。ここで、すべての市民が一度に集められて、全員にとって有用な仕事を一緒にさせられるとするなら、これは理解しやすいだろう。その報酬は、その仕事の結果を見ればわかるだろうからだ。

しかし、全員を集めた後に、誰一人通らない道を造ることや、誰も住まない宮殿を造ることを口実として働かせようとするなら、それは馬鹿げており、彼らは「この労働で私たちは何も得るものがない、私たちは自分のために働いたほうがましだ」と主張する権利を持つだろう。

労働ではなく、金銭を徴収することによって市民を協力させたとしても、この一般的な結論は、どういう意味においても変わらない。違いは、損失がすべての人々にかかってくるということだけだ。金銭徴収による場合、国家によって雇用された人々は、同胞たる市民がすでに被った損失のうち、自分たちの分だけを逃れることになる。

憲法には次のような条項がある、――「社会は、国、県、地方自治体が公共事業を確立し、仕事を求めるものを雇用することによって労働の発展を奨励し、促進する。」

緊急の場合、厳しい冬場の一時的な手段としては、納税者によるこういった干渉も有用かもしれない。それは保険と同じような役割を持つ。それは雇用にも賃金にも何もつけ加えないが、通常時の雇用や賃金を、損失は伴うものの、困難な時点へと移すのだ。

永続的・一般的・体系的な手段としては、それは破滅的な神秘化、不可能性、以外の何ものでもない。それはわずかばかりの労働者の喜びを伴う、それは見えるものだ、同時に大量の実現されなかった労働を強いられることになる、それは見えないものなのだ。