kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

神経関係学会に行って見ると

今日は名古屋大学での感情社会神経学会という学会報告を聞いていたのだが、
小生にとって新鮮だったのは神経科学の発表内容の云々というより、
論文内容、フロアからの質問ともに、
セロトニンなどの集団差と不安の差(e.g. Hariri, 2002 .)などを当然のこととして
進められていたことだ。


何のことはなくて、これは出席者が生理学、脳科学臨床医学、などの
研究者だからで、つまり戦後の社会科学ではタブー視されている、
<平等>の縛りが、理科系ではまったくかかっていないというだけのことなのだ。


というか、なんというか、そうだとするなら、
20世紀の社会科学者は本当にフシアナだったということになりそうだ。


ちなみに内容としておもしろかったのは、
脳神経的には金銭を得ることが
一般的な快楽と同じように線条体で処理されていることをこれまでの前提から、
さらに、自分へのいい評判もまた、
線条体で快楽と同じとして評価されているという研究だ。
Neuron, volume 58, Issue 2, 24 April 2008, Pages 284-294


無政府の社会では、規制ではなく、より多くを個人の評判に頼ることになるはずだが、
それは可能であるように予感されるのである。