kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

anti-patent movement

たまたま友人に誘われて、
今日は国際日本文化研究センター山田奨治さんのセミナーにいった。
この人は去年、イギリス18世紀の著作権論争についての本を書いている
海賊版の思想 18世紀イギリスの永久コピーライト闘争」

http://www.amazon.co.jp/dp/4622073455/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1216908490&sr=8-1


山田さんはanti-patentなのだが、
質疑の中で、「経済学者はインセンティブを重視するが、著作権をなくしたら
創作意欲が減るのではないか」というものに対して、
「私はそれに賛成しませんが、、、」という発言が印象的だった。


おそらくこれは文学や絵画などにはそう言えるだろうが、
薬の成分や製法には当てはまるかどうかを疑問視する人は
(経済学者を中心に)多いだろう。


僕はといえば、Wiki(あるいは類似サイト)の中で将来は薬の成分や製法も公開されて、
open source medicine と proprietary medicine が競い合う時代が来ると思っている。
ちょうど、今のwindowsmac OS , various Linux distributions のように。


山田さんの話にもあったが、著作権は著者ではなく、
8割以上がそれにかかわる既得権益者に関係しているため、
彼らが{公共性」を語る圧力団体となって、
アメリカ・イギリス、その他ほとんどの国で著作権を囲い込んでしまっている。


残念なことに世界は一体化しているので、
ある社会でどの程度の期間の著作権が望ましいのかを
(統計的に理屈で最適化する研究はあっても、)
一般人が実感的に検証することは難しくなってしまった。
ここが利益団体の延命する理由なのだろう。


あるいは、criative commonsのように、著作権なしの世界があってもいいが、
ソフトと違って、外部性の大きい、あるいは実利のはっきりしない芸術は
複数の世界が共存しにくい。
現実には難問となるわけだ。