kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

子どもの売買市場

臓器の市場を作るというのは何か突拍子もないだろうが、
養子を金銭取引で行うのはさらによくないということになっている。
人身売買だということになるからだろう。


しかし、多くのリバタリアンはこれはおかしいという。
子どもをお金を払ってまでほしい人は、おそらくは大事にするだろう。
高価なペットを飼う人が、ペットをかわいがるだろうことは容易に想像できる。
またお金をもらってまで売りたい人は、
子どもをうまく、あるいは十分に育てられないことを恐れているだろう。
あるいは責任を放棄したいのかもしれないが、それなら ますます
そんな親から子どもを離して育てる必要があるように思う。
つまり全体としてみると、やはり子どもをオークションにかけるのが、
効率的であり、かつもっとも子どもが幸せになる可能性が高いだろう。


ところが、いうまでもなく我われの道徳的な直感はこれを許さない。
このような行為は、子どもが「商品化」すると言う人もいる。
性が商品化されれば、問題で、
労働が商品化されても問題なのが、
子どもが商品化されるなどは、もっととんでもないのだという。



明らかに人間の心には、多くのものを金銭取引にしてしまうのはよくない、という
論理以前の感覚がある。
これはなぜだろうか???
この感覚こそが、少年時代の僕が経済よりも法や政治が大切だ、
あるいは道徳的に重要で「上」なのだ、
という無邪気な誤りを信じていた理由である。



このような道徳感覚の発達には、どのような適応的な利点があったのか?
これまで僕は多くの進化理論を読み、
自分でも考えてきたが、うまい説明が思いつかないのだ。
もちろん それがわかったところで、それはなくなりはしない。
しかし、それを克服する一助にはなってくれるように思う。