kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

内臓の売買市場

内臓の移植技術が進んでいる。単純に考えれば、まず金持ちが買うことになるだろう。しかし、腎臓が金になるのなら、死ぬ前にドナー登録をする人は、爆発的に増えるだろう。とすれば、現在のように腎臓その他の移植待ちの患者もいなくなり、なにもアメリカへいったり、フィリピンや中国、インドでレベルの低い移植技術に頼ることもなくなる。いいこと尽くめではないか?

この提案に対する典型的な反論は、そういう臓器市場を作れば、殺人事件が増えるというものである。しかし、完全に市場が完備されれば、それは供給が十分になり、かえって殺人をするほどの価値がなくなるだろう。

さて、2つ目の腎臓を売れば、それは自分がだれか金持ちの身代わりになって、透析生活に入ることを意味する。そこで、小生もなんとなくかねがね小さな躊躇を感じていたのだが、kyuuri氏の鋭い指摘で、2番目の腎臓は提供者から見た価値が高いために値段が上がり、健全な内蔵の市場があれば、そのような心配は杞憂であることを理解させていただいた。ありがとうございます。


今、途上国では内臓移植のための誘拐・殺人が多く起こっているのだが、むしろこれも内臓の市場を全く認めないからこそ、価格が高止まりし、殺人にまで発展するのだということがわかる。いつもアメリカに行って臓器移植の順番を待つ日本人の子どもが報道されるが、だからといって日本で臓器市場を作ろうという人はいない。明らかに大きな偽善が行われている。またそれは、麻薬密売人同士が殺人を犯して1万人以上がアメリカでは死んでいることに似ているのだ。


移植技術の進歩は不可避的に生じているのだ、へんてこりんな偽善はやめて、臓器市場を作るべきときがきたのだろう。市場と人びとの幸福を陳腐な倫理に優先しようではないか!