kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

『なぜ世界の半分が飢えるのか』

 スーザン・ジョージによる現代の古典です。

 彼女によると、アグリビジネス、途上国の支配者階層、先進国の研究機関などが、途上国の貧困層をますます貧困にし、その日の食料も持久できなくなって飢餓が起こっているのだと主張します。また緑の革命さえも、途上国の貧困をより深刻化していると言います。
 
 正直、ここまで資本主義社会、国際社会の暗黒面を痛烈に批判した書籍に出会ったのは久しぶりでした。まさに僕の実家に積んであった新日本出版社の書籍のような、、、、やはり国家社会主義的なものも大きな信頼と期待を寄せられていた時代だったからでしょう、とにかく食料ビジネス各社とそれを後押しして利権に群がる政治家という視座が強烈です。
 これでもか、これでもか、とカーギルやドール、ユニリーバなどのアグリビジネスの悪行を暴くのは楽しいかもしれないでしょうが、あまり生産的だとは思われません。アメリカ大統領フーヴァーの食料戦略についても、辛辣です。また本書は1974年に出版されていますから、ヴェトナム戦争の戦犯とされることの多いロバート・マクナマラについても世界銀行の総裁として大分批判がなされています。それからちょうど30年がたったわけです。しかし、事態はあまり改善しているようにも思われません。

 そもそも「陰謀理論」みたいなものは、悪玉を見つけてこき下ろし、愉快な気分になるという、マスコミも陥りがちな性癖だと思いますが、この著者の場合はそれがアグリビジネスだということのようです。

 もちろん、僕のような資本主義者の認識でも、利潤動機から活動するビジネスはすべてある意味でだれかかれかに対して悪いことをしているのだろうと思いますし、特に途上国などのように貧困層と富裕層の利益対立が激しい場合には、権力に近い富裕層をより豊かにし、貧困層をより貧しくしているというのは、かなりの真実だと思われます。

 確かに、世界の飢餓の問題は非常に難しいものです。なぜなら世界的に見れば明らかに食料は過剰に生産されていて、一部が廃棄されているにもかかわらず、途上国には栄養失調に苦しむ乳幼児が何百万といるからです。なぜなのでしょうか?僕なりに考えてみます。

 僕はやはりmarket fundamentalistとして言うなら、市場化が不完全だからだと思います。途上国の市場が不完全であればあるほど、教育などの人的投資の価値も下がり、結局は先進国との交易を可能とするような製品を作れないと言うことなのではないでしょうか。

 そもそもアメリカの大豆やトウモロコシをアフリカの人々が食べるためには、アメリカ人がほしくなるような何かと交換する必要があります。そうしなければ、途上国はただの人道的な食料援助に頼るしかなくなってしまうでしょう。つまり自発的な交換のシステム、世界貿易に加わる必要があるのです。そのためには、アメリカで売れているメルセデストヨタのような何か価値がある(と少なくとも感じられるもの)を作る必要があるということなのです。

 最後に、著者は特に採りあげていませんが、アメリカ国内でも貧困層の栄養問題は深刻なものがあります。つまり世界貿易が活発化すれば、何か他人の望むものを作り出せない人は、先進国にあってもやはり貧困にあえぐことになることになるのです。30年前は途上国であったアセアン諸国はすでに中進国に達しており、また韓国・台湾は先進国と言っていいでしょう。これからは国単位での社会現象をみるだけではなく、世界の交易システムの中で個人はどのような貢献ができるのかという視点から貧困の問題を分析していってほしいように思います。

 最後になりますが、僕は著者の国民主義が鼻につきます。著者はアグリビジネスのmultinationalsに対抗するために民族主義の高揚を説きますが、リバタリアンである僕の立場からすると、このような考えは無用に現在の支配階層を利するものでしかなく、かつ人々が将来に真の人間的な独立と自由を得る際には、かえってその阻害要因になるのでないかと危惧します。