kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

R.I.P my friend K.T.

こんにちは。

 

自分もいい年になってきたので、友人の中には、数年も前に膵臓ガンでなくなったものもいる。今日は、彼との思い出を一つ。

 

ある時メトロという学食で、偶然にもクラスの仲間が何人かで集って話をしていた。当時のボクは法律を真剣に学んでいて、経済学についてはほとんど考えたりしていなかった。が、以前にハイエクの「貨幣性」という形容詞概念について理解していたので、経済学部にいた彼に向かって、

 

トヨタの株式とか、債権とかあるだろ。それってほとんど信用力からすると通貨と言っても良いんじゃないの? どこに通貨とそうじゃないものの違いがあるの? 」

 

と聞いた。彼は

 

「それは現金+預貯金がM1で、さらに定期預金+譲渡性預金を加えてM2、さらに・・・。と考えると、トヨタ社債は、それを受け取って、その代わりに財を交換してくれるやつがいないから、まったく通貨とは言えないな」

 

と正しい貨幣の定義をくれた。なるほど、、、

 

ちなみに彼はさらに

 

「そういう本当のことは、アメリカに行って勉強するしかないな」

 

という正しいアドヴァイスもくれた。実際、1年半後には、そういう決意をすることになった。その後も銀行マンの彼とは、社会人になってからも色々と話しをし続けた、ありがとう。

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さて、今コインの盛り上がり、さらに近い将来には、すべての資産がwrapped coin、つまりはコインとして流通するようになることを考えてみよう。この時、そうした形で流動化された「資産」は、「通貨」という概念に、だんだんと接近していく。違いは、どの程度の場所で、それが使えるのか? という違いであり、これはある商品=資産のもつ「通貨性」、つまりどの程度の流通性=通貨性を持っているのかという形容詞になることを意味している。

 

明らかに、近未来には、全員が情報端末を持つようになるはず。そのとき、「地球人のすべてが受け入れる貨幣が、100%の通貨性をもつ」と定義されるだろう。この完全通貨に比べると、その他のコインの通貨性の値は下がる。例えば10%しか受け取らない通貨は10%の通貨性を持つ、ということになる。

 

現時点の日本ではさておき、次の20年でビットコインイーサリアムは間違いなく世界共通の通貨になる。ちょうど、20年でインターネットがすべての基盤になったように。おそらくは、カルダノやチェーンリンク、ファイルコインなどもそうなりそうな気がする。

 

しかし、どの段階においても、そうした変化は暫時的である。残念ながら、ある時期のある商品の通貨性という概念は、常に変化していくことになる。さて、こうした新しい経済のあり方は、過去の経済のあり方に比べて、一体全体 同じなものなのか? 違ってくるのか? どう違ってくるのか? については、まったく分からない。

 

IMFなど、既得権益層が主張するように、単に経済が不安定になり、リスクが増えるだけなのか? それとも、マキシマリストがいうように、むしろ健全な経済が実現するのか? みんなでこれから考えましょう。

 

最後に、最初に戻ってRIP K.T.

 

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