kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

単純ゲームと複雑ゲーム

将棋のソフトがやたらと強くなってきたという.


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140519-00000028-mai-soci


僕は前々から授業で,「単純なゲーム」という言葉を使って,コンピュータが人間よりも強いゲームについて,ゲーム理論の授業を使って説明してきた.この用語法では,単純ゲームは時代とともに,次第に数多くなっていく.これまではオセロからチェスまでが単純ゲームだったのだが,ついに持ち駒を打てる将棋にも,その分水嶺を越える時代が来たようだ.


で,いつの日か,囲碁でさえも単純ゲームになる日が来るのか? それは当然に間違いない.おそらく僕が生きているうちにありそうだ.


さて,それでは世界に存在する「すべてのゲーム」が単純ゲームになるのか?という哲学的な問いについては,どうなのだろう? いつの日か,すべての人間の至高よりもコンピュータが上回るのだろうか? ちょうどカーツワイルが言うように,,


僕の個人的な意見では,それはないように思う.人間は,なぜか論理を超えた存在であるようだからだ.なぜって? それはなぜゲーデルの定理が人間によって発見されたのか,ということと(直感的に)関係しているように思われる.


最後に似たような話がある. 僕は通勤時間にワンセグで「Dr.G」の再放送を見ながら帰宅することがある.この番組は若い研修医が,患者の症状から病名を当てるというものだ.これはこれで素晴らしい能力だ. とはいえ,僕が不満なのは,こうした診断能力はIBMのワトソンくんの助けを借りて,決してもれなく病気の候補を考えたほうが良いだろうという,単純な事実をこの番組はガン無視していることだ.なんで,人間がPCのアシストをかりずに病名にたどり着くことが,そんなに名医の条件となるのか???


本当の人間の知性というのは,既存の病気を診断することだけにあるのではなくて,未知の病気を「未知である」と正しく判断して,分類し,新たなる治療を試したり,確立したりすることにあるはずだ.それによってのみ,医学は前進する.病気の診断のプロセスには見逃したことなどもありえるから,むしろコンピュータのほうがはるかに良い仕事をするに違いない.実際,このラインの上で,IBMはそうした医療診断サービスをテキサス大学などと一緒に実現しようとしている.

 
しかし,新たな病気を探すという活動は,ベイジアン医療診断と違って,決して単純ゲームではありえない.結局,単なる確立した病気の診断よりも,医学者の知性はもっと有用な新たな病気の発見や,新しい治療法の考案に使われなければならないと思うのだ.う〜ん,またしてもほとんどの人にはまったく賛成されない考えなのだろうが,,,




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