kurakenyaのつれづれ日記

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多世界解釈、人間原理、そして論理の矛盾する世界

宇宙に外側はあるか (光文社新書)

宇宙に外側はあるか (光文社新書)


休みに実家に帰ったら、棺桶に半分足を突っ込んでいる父が、なぜだか宇宙についての本を読もうと新書を買っていた。そこで、僕もついでに読んでみた。内容はひじょうにモダンにまとまった現代物理学の概説だった。スバラシイ!


なかでも、一点特に僕が興味深く感じたのは、エヴェレットの多世界解釈が、実証面ではともかく、今では主流の哲学的な世界観になっているといった認識。まったく同感。


さらに比較的に最近の話題としては、なぜ多くの宇宙定数が人間の存在に都合が良いようになっているのか?という、人間原理の問いがある。これについても、同じように、多様な宇宙の中で、我々のような知的生命体を生み出したのが、この宇宙だけだったのだ、という多世界解釈の拡張版がある。


ダメ押しで、並行宇宙の中には、論理の存在しない宇宙もあり得るだろう、という命題がある。僕は、このことについて、そういえば、まじめに考えたことがなかった。しかし、考えてみると、多様な並行宇宙の中には、論理の通らない世界もあってもいいかもしれないことに納得した。


アインシュタインは、「なぜ、人間が世界を理解できるのかは大きな謎だ」と言っていたが、僕も昔から、なぜ多くの数学的なテクニックがこんなにうまく世界を記述できるのかを、実にイブカしく思ってきた。


いかにも、物理理論として基礎的だと思われる自然数、実数、虚数概念が世界の記述に有益であることだって、考えてみるとマカ不思議だ。そして反対に、自然数体系ですら、決定不能命題を含むということも、、、


「知的=論理的」という定義の問題からして、論理構造の存在するような宇宙にしか、人間のような知的存在は発生し得ないのかもしれない。つまり我々のいる強い論理構造を持つような世界の他にも、論理構造のはるかに弱いような構造を持つ多くの宇宙があるのかもしれない。


この場合、論理的な学習を生かして、自己複製に役立てることができるような生命体は発生し得ないのかもしれないし、そうであれば、これもまた、ある種の人間原理と呼べるかもしれない。


ともかく、現代の物理学は、こうした多くの形而上学的な論点を避けては通れない。本書は、さすがに僕と同じ年の学者が書いているだけあって、そうした可能性について詳説してある。皆さんにも一読をオススメしたい。