kurakenyaのつれづれ日記

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カマキリは無慈悲だ

うちのチビがカマキリを見つけて飼いだしたので、2,3日に一度、数匹のエサバッタを捕まえてきている。この暑いのに、僕もよくやるものだ。僕自身のために小学生の時には、やっぱりカマキリを飼育していたように記憶している。

さて皆さんも知っているように、現在の僕は殺生はやめておきましょうというようなwanna be vegetarianなのです。
とはいえ、チビのお願いをかなえて、カマキリがまったく無造作にバッタを捕まえて、生きたままに、足が動こうが、触覚が動こうが、気にせずに食べていくのが、自然というものを再認識させられます。なお、バッタはショウリョウバッタが多いのですが、キリギリスやカワラのバッタも含まれています。

バッタは数分でカマキリの腹の中に入ってしまい、足の一部を残すのみというのが普通です、アーメン!

ドーキンスがどっかで書いていたように、自然は「無慈悲」なのではなくて、「無関心」なのです。
僕の死も、同じように僕と周りの人には意味があっても、自然には意味がないのでしょう。諸行無常を感じます。僕も生きているうちにやりたいこと、できることをやりたいものです。