kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

2冊の日本の本を読みました

ロサンゼルスの近郊にもBook Off が何店舗かあって、
ちょっと近くの日系スーパーに寄ったついでに
1ドルで日本語の本を買ってきたので、
感想を書くことにしようと思う。


一冊目は竹内靖雄さんの
「日本の終わりー「日本型社会主義との決別」」
http://www.amazon.co.jp/dp/4532190355/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1258965002&sr=8-3
というやつで、これは2001年の本だから、だいぶ古いものだ。
確か僕はこのところ、まったく竹内さんの本を読んでいない。


昔大学にいたときには、リバタリアンな考えがいいと思って注目してきたのだが、
今最近の本を読んでみると、残念なことに、単なる放言エッセイ集になってしまっている。
もともとリバタリアニズムにはフランス、アメリカを中心に長い歴史があるのだから、
それをもっと引用するべきだと思っていたが、昔はそれでももう少し学術的な香りがあったと思う。
最近の本の内容からすると、ほとんど新しいことは勉強されていないのかなと思う。


無理もないことで、
一つはこの本が「文芸春秋」のエッセイをまとめたものでしかないからかもしれない。
しかし、何と言うか、本と言うのは、
もっと現代的な知識を取り入れたものであるべきだとは感じてしまう。
僕も74歳(父と同じ年)になったら、こうなってしまうのだろうか? 
ちょっとコワいものを感じる。


?????????????


もう一冊は松井彰彦さんの
「スーク(市場)の中の女の子」
http://www.amazon.co.jp/dp/4569633404/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258965512&sr=1-1


この本は不思議な本で、
内容はどこか「ソフィーの世界」のような感じだ。
現代日本に住んでいたはずのミチカという中学生が、
中世のアラブのスークなどへと時空を旅することになって、
貨幣の発生の意味や、
奴隷制度などの文化的な習慣の、
ゲーム理論的な理解をしてゆく(といっていいのか?)ものだ。


松井さんは進化ゲーム理論では国際的に有名な若手研究者で、
昔研究会でお話ししたときに、
ひじょうに知的でありながら(服装も含めて)洒落た人であるという強い印象を思い出した。
そういう人の書きそうな本ではある。


ゲーム理論を使って、文化の多様性などを説明するのは可能であるだろう。
例えば、誰でも北朝鮮と韓国の状況の違いが、
半世紀以上の間に、経済と文化のゲーム論的な均衡状況の違いを形作っていることには
異論をさしはさまないと思う。
あるいは革命や奴隷制度、各種の公民権運動、
その他の歴史的な変化も説明できるものなのかとも思う。


そういった試みはなかなか斬新でけっこうだと思うが、
ゲーム理論とその利用される学術状況をまったく理解せずに読むと、
何かわけのわからない本だと感じられるだろうと思う。
そうなったら残念なことだろうが、あるいは最初から普通の人を狙っていないのかもしれない。