kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

ガジェットとぼく

僕のような単なるガジェット好きというのは、ヨーロッパ人やアジア人には数多くいるようだ。でも、僕の場合、バカとしかいいようがないのが、「利用するアテもないのに、ガジェットを欲しがる」こと。


思えば、中学3年から高校1年の時にステレオのカタログを集めて、一日2−3時間も各種の性能やデザインを比較していた。あんまり長い間やっていて、当然に勉強もしないので、母が見るにみかねて、自由な組み合わせのものを確か40万ぐらいで買ってくれた。


それで、僕は当時自分が好きだったオフコース(えっ、信じられませんか?)なんかを主に聞いていた。もう一つのお気に入りは高中正義カシオペアで、これは大学に行ってもザ・スクエアカシオペア、さらにエヴァンズなどのジャズへを含むようになって聴き続けていた。反対に、なぜか大学ではオフコースは気恥ずかしくなって全然聞かなくなっていった。


しかし、僕はそもそもメカが好きだったのであって、音楽は特段に好きでというわけではありません。なぜかって、オッサンになりきってしまった今は、ステレオ雑誌も読まないし、第一まったく音楽を聞きたいと思わないくなったもの!


まったく同じパターンには、パソコンもあります。「あれがあればどんなに生産性?が高まるだろう、ワクワク」と考えるのが楽しい。実際に手に入れてみると、アラー、当然、別にアイデアが沸き上がって原稿が自動的に仕上がるわけではまったくありません。


実際、僕は先日VAIO Zを入手したが、なんか操作性が今のLet's Noteと違っていることもあって、むしろ生産性は下がりきっているのはみなさんに報告するまでもありません。


似たような話は、最近のスマートフォン。早くからこれはスゴい、ワクワクだ、などと感じてXperiaなんかを使っていました。で、じゃあ、それで何をするのか、といえば、せいぜいがメールとスケジュール管理ぐらいで、不精な僕はSNSをしないので、別に普通のケイタイでも十分にできる程度のことじゃないか!!


ちなみに僕はF1という自動車レースも好きで長年見ているのですが、レースもともかく、最先端の空力テクノロジーをまとったマシンに惹かれている部分が大きいです。


つまり、僕にとってのガジェットとは永遠のあこがれであって、具体的にはたいして役には立たないのでしょう。けれども、そういう風に、自分がガジェットを使っているところを想像するのが楽しいというのは、メカへの偏愛とあいまって、実に不思議な男性サブカルチャーです。永遠のフシギですね。