なるほど、kyuuri氏のいうようにIQ(intelligence Quantient)というものの
計測レヴェルでの不信感があるのも理解できる。
しかし、産業心理学や労働経済学でも、
労働者のperformanceの最も重要なpredictorはIQである。
約0,3程度と相関係数は小さいが、それでも民間から、
軍のコンバット訓練に至るまで、すべての作業で高い相関がある。
それに比べると、外向性や内向性、
その他の労働者の性質はほとんど社会的な成功と相関していない。
これはつまり、現代社会で賃金の支払われる作業のほとんどが
IQと関係していることを意味する。
おそらく平等主義者はここで顔をしかめるだろう。
それは理解できるが、おそらく顔をしかめる人は
「人間とは知的な生き物である」という命題に最もこだわっている人だと思う。
つまるところ、論理的・言語的な知性は単なる人間の多様な能力の一部でしかない。
おそらく多くの人が知能論に差別主義の匂いをかぎ取るのは、
人間の優劣を無意識に知的な能力においているからではないのか?
小生の少年時代の価値観からすれば、
これはいつわらざる実感としても否定できないが、
しかし大人になって、スポーツや芸術などの疑いえない知性以外の
あるいは、知性とはあまり相関しない人間の能力を大きく認めるようになって、
だいぶこれは思い込みに過ぎないということが了解されるのである。
もちろん、論理や言語はできても、
小生のように毎日の酒とクスリで完全に頭がパーの社会的落伍者もいる。
インテリの皆さんにはぜひとも深く内省してみてほしいものだ。