kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

ハンコなんかヤメロ!!

15年ほど前に東海銀行(現 東京三菱UFJ)で口座を作った。用事があって、アメリカに送金しようとして、50万円ほど持っていったら、「書類には預金講座で使ったハンコが必要です」という。「えっ、僕が外国人だとしても必要なんですか?」と聞いたら、その場合はサインで良くて、ハンコはいらないんだと!!


腹がたったが、押し問答も役人もどきの銀行員相手ではばからしいので、1時間かけて家に帰って取ってきた。もともと法学部時代から、ハンコ文化は特に嫌いだったが、それでますます嫌いになった。


それからシティバンクを使うようになったら、ここはハンコじゃなくて、サインでオーケーなので、いろいろと便利で楽しい。ところが、最近、研究の関係から二つの(あんまり意味のない)学会に入会することになったが、その両方が銀行引き落としの強制! おまけヴューカードをつくろうと思ったら、ここもシティでは引き落とし契約ができないんだなーー


仕方が無いので、また東京三菱UFJであたらしく口座を作った。 まあ、なんというか、本当に印鑑証明から始まって、一国の確立した制度から逃れるのは本当に不可能だ。当人の筆跡よりも、その辺の百円ショップの三文ハンのほうが重視されるというような、無益を越えて有害な制度は、どうして明治時代の判例の中で確立して行ったんだろう??


そういったバカらしいことが判例法の中で制度化されているから、僕は日本では、絶対に法律家がハイエクの言う自然法の発見、あるいはポズナーのいう効率的な法を作ったことはありえない、と確信するのだ。


実際、日本の法曹の歴史をみると、利息制限法の、遡及処罰の禁止則を越えての厳格化。それによる大きな混乱と、消費者金融の従業員の突然の不利益。これらが法の支配や自然法の発見であるはずがない。つまりは、国会を経由しない政府規制の増設部隊ということか。


というわけで、僕はJRのヴューカードを使いたいのですが、そのためにはハンコを登録するしかない。残念なことだ。