今日は大学の図書館に用事があった。
で、たまたま『人生がときめく片付けの魔法』を見つけた。ちょうど先日 日本人とイギリス人の同僚たちとおしゃべりしていた際に、「最近 コンマリさん 人気だよね。ネットフリックスでも 大人気の番組になってんだってね。」という話にもなっていたの目についたこともある。タイムの「影響力のある100人」にも選ばれているはず、それはスゴイ!!
そのときの会話。イギリス人の同僚いわく、「コンマリは東洋人の神秘って感じだからじゃないか? アメリカ人は特にそういう趣味が好きだからね。」
ボクの感想はといえば、「誰でも内心で、ビシッと言われたいと思っている。それがコンマリの巫女じみた身振りやトーク内容と相まって、猪木のビンタみたいに「人生を考え直せ!!」となって、気持ちいいんじゃないか?」というもの。
余談だが、Netflixの番組では、それにときめきを感じますか? というのが、Does it spark joy? と約されて、コンマリが日本語で聞いている。なるほどspark joy というのはキラキラした感じがして名訳だ。
さて本の内容は、8年前のベストセラーであり、やたらとネットの記事にも書かれていること、ネットフリックスの番組でもやっているので、ほとんど知っていたが、感想を少し。
・やたらとモノの持つ意義とかモノへの感謝を重視するところ、さすが女性的な視点というか世界観である。あまり男性的な機能主義ではない。風水とか、モノへの感謝とか。最後は「片付けると、やせる きれいになる」とか。そうしたことがあるのはそれで結構なのだろうが、かなり信仰宗教じみている。(しかし おそらくこのカルト的な部分がないとこれほどのブームにはならなかっただろう。)
・もっと重要なことは、「ときめき」を感じないモノは、あなたの人生では、もうその役割を終えているのだから、感謝して処分するべきである。ここで「未来に使うかもしれないから」と考えるのはよくあるパターンだが、実際には使わないため、ムダかつ有害である。
・同じように、よく巷間言われているような、「1年着なかった服は処分すべき」、「1着買ったら、1着捨てる」とかいう、厳格な形式基準も現実にはほとんど機能しない。
ちなみに、この「ときめき」と言うやつは つまりは「直感」のことであり、「使うかもしれない」という思考は、あえて言うなら「熟慮による利益衡量」とでも呼ぶべきものだ。西洋哲学でも、直感に基づく義務論と、帰結主義的な利益衡量に基づく功利主義、が鋭く対立してきた。こうした行為に対する倫理判断の基準と、著者コンマリのいうモノを捨てる基準とが似ている状況が興味深い。
さて「~~のときに使うかもしれないし、==に必要になるかもしれない」というような利益衡量的な思考は、実際にはリスク回避的=いらないモノをとっておく、という帰結に陥りがちである。モノが安くて、あふれかえるわりに住居スペースが逼迫している現代生活では、それは現実にはうまく機能しないということなのだろう。直感のほうがかえって機能的だということか。
ときめかないモノは、実はいらないものだから、なくなってもすぐに対処できるということも指摘されている。
これに関しては、ボクも良く「この内容のファイルは、昔書いたことがあったはず。さて、どっかにあったはずだけど、どこだろう?」と(パソコンの中を)ダラダラと探し回ることがあるが、最初から全部捨ててあることがわかっていれば、むしろすぐに書き直し始めるしかない。結局、探索活動なんてしている間に、おそらく新しい書類をトットと書き終えることができたはずということは何度もあった。
ともかくも 「未来のすてきな生活のために、今あるモノを整理する」というのはけっこうなポジティブ思考だ。今週末にでも、やってみることにしたい。
_