kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

面合わせのムダ

コロナ経済危機の感想の続き。

 

 

まず、この2,3年、テレワーク、リモートワークが急に話題になってきたのには、いくつもの理由があったと思います。「日本の生産性を他のOECD諸国並みに上げるためには、無駄な面合わせでしかない会議を減らすべき」、「意識改革として、日本の「切り札」としての有給休暇のとり方をあらためる必要がある」、「出生率を上げながら、女性に活躍してもらうには、男性も育休とリモートワークがしやすくすべき」etc.

 

こうした主張は、どれも説得力があって、ゆっくりとではあっても日本の制度も変化しつつあったと認識しています。だけれども、連続的な変化というのは、常に、ものすごく強力な心理的=政治的な抵抗勢力がいて、遅々として進まないというものです。多分 今回の事件がなければリモートワークなんてやらなかったという会社は多いはず。それが大変化を余儀なくなりそうなのは興味深い社会現象です。

 

ところで、リモートワークを許すというのは、会社と自分が同じ時空を共有していないのだから、個人のeffort levelを直視することはできません。必然的に、努力ではなく、成果に対して対価を支払う制度にならざるを得ないはずです。

 

でも、それって、日本人の大好きな仲間意識や、努力を評価する → みんなの給与は一緒というメンタリティとは完全に矛盾しています。ハテサテ どうなるんでしょう??

 

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不要不急の活動

こんにちは。

 

大学でも卒業式も入学式、オリエンテーションもなくなり、集会的なものは全部取りやめ、さらには今年の留学プログラムも保留検討中となりました。どれも大学教育において不可欠とは言えないからです。

 

ところで、政府は不要不急の外出・活動は避けろといいますが、何が不要不急で、何が必要不可欠なものなでしょうか??

 

食事はともかく、多分 会食、コンサート、式典、観光なんかは すべて特段に必要ではない活動です。現代社会というのはサービス産業がほとんど(すでにアメリカではおよそ80%ほどがサービス産業で働いている)なので、こうした行事がなくなれば、それは資源配分の大きな変化が生じて、経済危機にもなります。

 

PCR的な診断ができなかった30年前には、今回のコロナウイルスなんてのは、単なるインフルエンザの1変種にすぎなかったはず。それがこんなに大きな社会活動の変化を引き起こしたことには、ボクのような衛生観念などなノーテンキ、平和ボケはかなり驚かされました。

 

中年以降の成人であれば、年間3000人が死んでいる交通事故や、あるいは膵臓ガンや動脈硬化の発作で死ぬ可能性のほうがはるかに高く。それでも、慣れ親しんだ危険にはそれほど注意を払わないのに、未知の恐怖に怯える。

 

うーん、こうした人の心はリスク心理学=行動経済学としては理解できますが、「合理的」ではありません。

 

本当にフシギなことです。

 

 

あと2年なら

こんにちは。

 

今日も無意味に新幹線に揺られてブラブラと東京へ。

 

自分が50代になれば、親とおじおばの世代は80代になるわけで、当然 いろいろな問題が生まれます。

 

今日はおじさんが先月から人工透析をし始めたと聞きました。で、平均余命を見ると、2年という感じ。ウーン、、、

 

自分ならどうするだろう?? 残りが2年なら、知っていることや財産はすべて子供に教える・与えるのは当然として、あとは何が?? 

 

何もないのでしょう。それが一番。なんでかって、自分がすることが思いつかないほどに長生きしたということなのだから。

 

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夏より長い春休み

こんにちは。

 

 

学校がすべて休みになったということで、自宅学習をすることになっている。うちでも、子供の塾も休みということで、代わりにyoutubeで公開授業をしている。

 

こういうことになると、おそらく学力格差が開くことになるのは当然だ。もともとヤル気のない子は学校で座っていることでなんとか聴いていたのに、自分から学習するはずがないからだ。学校という空間で友人と課題・苦痛を共有しているからこそ、勉強を少しはする気がするのが、完全に切れてしまうという感じか。

 

そういえば30年前には人類の叡智のすべては図書館にあると思っていたが、今ではほとんどすべての叡智がYoutubeで公開されているし、最後の学者の論争部分でさえも、online journalで読めてしまう。つまり、パソコンとネット環境があれば、すべての知識は得られる(はずだ)。

 

特に英語を使えるなら小学生でも最先端の数論の授業を理解できるし、実際にそういう話が大量にある。ちなみにボクも、アメリカの高校生からメールが来て、彼と一緒に論文を書いたことがある。

 

 

ところが、社会を見ると、いろんな勉強会・セミナーなんかをやっているようだし、みんな有料で参加している。もちろん、専門家に聞いたほうが、理解が速いこともあるだろうが、やっぱり一緒に頑張る人がほしいのだろう。

 

小中学生なんかが、自宅で自習するというのはほとんど不可能を命令しているようなもので、むしろ単に遊びましょうというほうが潔い。どのみち算数以外は何も知る必要のないことを無理やりに教え込んでるんだから、、

 

 

K/T → K/Pg

こんにちは。

 

先日のポストでは、K/T境界と書いてしまいましたが、今はK/Pg境界と呼ばれています。こうしたところで、ボクの歳がバレてしまうんでしょうね。

 

同じような話はたくさんあって、例えば、コンピューターと書くか、コンピュータか?? 

また入試問題を作成していると、ルーズベルト → ローズベルト、とか、原語の発音に忠実であろうと現代的に変化させようとしているものもあります。あるいはdominant alleleの優性遺伝子が顕性遺伝子になったり、schizophrenia精神分裂は統合失調になったり、、、

 

科学的にはっきりさせる目的もあれば、政治的なものもあって ますますややこしい。少なくとも日本でしか通じない漢字で書いた日本語用語はすべて捨てて、英語で統一するべき。

 

おそらく誰も納得しないんだろうなあ。そもそもボクら全員が日本語で教育を受けてきたんだから、、、、

 

 

コロナウイルスから大恐慌

こんにちは。

 

 

ごく一般論になってしまうが、ある数値から別の数値へと変化するときには、一定速度で均質な変化が起こっていると考えがちだ。例えば、1700年と1800年の違いを体感している人はいないので、生活の変化や意識の変化は緩やかに起こったんじゃないのか? みたいな。

 

しかし、現実には かなり断層があるのがむしろ普通なんだろうと思う。きっかけがあって、それが急に意識されるというようなものだ。6600万年前のK/T境界だって、恐竜が絶滅したということは間違いないが、それ以前から恐竜よりも哺乳類の種の増加のほうが多かった。つまりチクシュルーブの隕石は、決定的なきっかけではあったが、爬虫類・鳥類から哺乳類へと移行する長期的な趨勢をウルトラ速めたというわけだ。

 

コロナウイルス自体はインフルエンザと実質的には同じだが、それをきっかけにして精神的な恐怖から始まって、大恐慌が起こるというようなのも同じなのだろうか。

 

1920年代には大きな株価の上昇があって、それが調整されたのが1929年から始まる「大恐慌」。リーマンショックのあとに12年の株価の上昇があって、それが調整されるきっかけとなったのがコロナウイルスになりそうだ。

 

(株価も暗号通貨も暴落しているから、ボク個人としては引退が遅れて困ってはいるけれど、まあ資本主義とは常にこんなものだから、もちろん仕方がないのだが、ハハハ)

 

 

ともかく 例えば致死率がはるかに高いスペイン風であればともかく、今回のウイルスは、死亡などによる物理的な経済活動への影響はゼロのはずだ。それでも人が恐れるなら、それは実体があるというべきなのだろう。(金だって、本質的な価値というよりも、人々の信念がナッシュ均衡になっているだけのようなものでもある。)

 

この話はもっと複雑なところがあって、例えばメンガーなんかは「呪術」などを「仮想imaginary」財・サービスと呼んで、文明とはそうしたものをなくすことだと主張している。ウーン、でも原宿に占いの館はあるし、占星術も健在だ、、、ビットコインは究極の無価値・想像上の財・サービスだし。

 

 

こうなると話は無限に複雑になる。一体どこが、何が人間の「効用」を形成するのか? プラセボ効果を組み入れれば、主観・客観の区別はできなくなってしまう。だからこそ二重盲検という概念が生まれたのだが、それも社会全体としての実験はできない。

 

 

Alah みなさんも ぜひお考えください。

 

 

 

ETFのGAFA

こんにちは。

 

もう一つ「ラディカル・マーケット」からの話題。

 

 

ボクはいつも入門経済学の授業では、「S&P500のインデックスETFを買い続けて、老後に備えろ」と言い続けている。帰国してから25年は言い続けているはず。

 

さてインデックス投資への流れはアメリカで一番顕著だが、そうするとそうしたファンドを運用する会社が次第に大きな存在になる。State Street, Fidelity, BlackRock, Vanguardの出資比率はすでにFortune500の30%を越えてきたという。

 

 

そもそも、こうしたファンドにとっては、企業が競争をして利益を減らすよりも、むしろ競争せずに独占利益を得てくれたほうがありがたいし、そういうふうに経営陣にも圧力をかけるだろう。ということで、実証分析をしてみると、ファンドが大株主である場合には、競争が抑制されていることが明らかだ。

 

こうして著者たちは、4大ファンドによる、見えざる「市場の独占」は消費者・労働者の双方に不利益をもたらし(、ファンドの保有者に利益を与え)ているため、あらたな独占として、ファンドによる企業経営への口出しを規制すべきだという。

 

なるほど、そうかもしれない。独占禁止法の趣旨に賛同する人であれば、ファンドによる独占にも反対すべきだと思う。

 

とはいえ、ガチガチのリバタリアンであれば、「利益を釣り上げようとする企業は別の中小企業から市場支配を挑戦されることになる。別の中小企業のほうが速く成長するならば、ファンドの利益にも最終的にはつながらないだろう」と言うだろう。

 

これは、これまでの独占企業への対処法とパラレルな関係にある。あなたが独占を不愉快なで規制すべきだと感じているなら、ファンドによる隠れた独占も許さないだろう。反対に、長期的な市場のダイナミクスを信頼しているなら、規制の必要はないことになる。

 

 

ボクの見解は、「短期的には独占は確かに、静学的(つまり一時的に)消費者に有害な状況を作り出すが、規制をしようとするよりも、長期的なダイナミクスを信じたほうが(政府による累積的な市場への)害が少ない」というフリードマン的なものだ。

 

 

それはさておき、こうしたファンドもGAFAと同じで、アメリカに集中していることのほうが、よっぽど気になる。なんで日本人は、インデックスETFのようなマトモな投資を規制して、証券会社の手数料収入なんかを保護してきたのか。先が思いやられる。

 

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