kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

オレの嫁

ついでに言えば、最近は普通の日本語にも 理想の「彼女」という意味合いで、「嫁」 あるいは「ヨメ」、「オレヨメ」が使われるようになったようだ。

 

 

確か20年ほど前に、滋賀から来ている学生が良く「オレのヨメが、今京都の大学に行ってるんですけど、」みたいに言っていて、確かに関西では彼女を指す言葉として、日常的によく使われていた。

 

 

多分、最近はその響きが良かったために、関東にも広がったんだろう。これは別に違和感はないんだが、間違いなく 自分の世代の言葉づかいではない。やっぱり日本語もだんだんと変わっていくんだと実感される。

 

Google Ngramで調べてみたいけど、英語は良いなあ、日本語の変化って どうなんでしょ?

 

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もうブログを10年も続けさせていただいておりますが、、

B‘zの曲に 「世間をののしりゃ ご老人 yeah」というのがある。

 

ボクも人並みにご老人になった。そこれ21世気に入って どうも気になるのが、

 

~~させて いただく  って表現。

 

「~~させていただいておりますが、、、 」 なんてなんでもかんでも 日本人はさせていただかなければならなようだ。

 

謙譲の美徳はもちろん結構だが、ここに至っては単なる冗長なる丁寧表現と呼ぶべき状況にある。「ただ自分がやってただけだろ」っていうところでも 「」~~させていただいてきたところですが、、」らしい。

 

ところが こう言ってるボク自身も この表現を常に使うようになってきている。でも なんか主体性欠如みたいでやだなあ。。。

 

 

確かにマイニングはムダだが

こんにちは。

 

いろいろなビットコインその他のcryptoへの批判があります。その一つには、「マイニングのための電気使用量が、すでに香港を上回っている」というエコロジー的な観点からのものがあります。

 

wired.jp

 

なるほど、これは間違いなく本当です。これは実は、ケインズによる金準備制度批判とも共通しています。「金という、それほど有用性の高くない金属の掘り出しや保管などに資源を浪費するのは意味がない → 紙幣と中央銀行の管理が望ましい」というものです。

 

これは正論なのですが、それでもボクはあまり納得できない。中央銀行などという役人集団は無意味なのではなくて、有害です。彼らの知的な資源はもっと有用なことに使えるはず。

 

おまけにG20のようなムダで有害な会議に費やされる、膨大な政治的な動員。そもそもの意味がわかりません。

 

また、長期的にもっと悪いことには、政治家に金融政策などという、良くてブードゥー、悪くてコカインみたいなことを、政治活動によって可能だという幻想を与えてしまうことです。結局は単なるインフレを生み出すだけで、良いことなんてないのに。

 

 

もちろん軽いインフレが人々の効用を増加させるというのは事実だと思いますが、そうした金融政策が長期的に望ましいものなのかどうか?? コカインなんじゃないの。

 

歴史的なインフレーション、現在でもベネズエラやアルゼンチン、ジンバブエを見れば、金融政策とやらの可能性自体が有害なことは明らかだと思います。マトモな歴史家が指摘するように、経済には(人的資本の蓄積に基づく)技術革新が必要なのであって、政策は長期的には重要なものではありえない。

 

ということで、各種の暗号通貨の維持には電力が必要です。しかしそれは政府というセイレーンが語る金融政策の誘惑から、一般人の生活を守るために必要な資源なのでしょう。

 

泥棒というものが存在しなければ、鍵というものを作ったり、家に鍵を取り付けたりすることはまったくムダです。しかし泥棒は現実にいて、彼らから家財を守るためには鍵が必要です。同じように、政府という存在があって、彼らから財産を守るためにハッシュパワーを生み出す電力が必要なのだと思います。

 

 

 

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年寄りは待てない!!

こんにちは。

 

 

ボクは暇人なのでネットニュースをよく読みます。バカなニュースばかり読んでいれば、ちゃんとグーグル先生が「こいつはバカだ」と判断して、さらにバカなニュースをすすめてきます。

 

で、よくすすめられて読んでいるのが、「貧乏人は==するが、お金持ちは~~する」というもの。これって全部ムダな話で、つまりは平均的に金を儲ける人は、ある種の行動特性・心理特性を持っているというだけです。だいたいの場合は、単に頭が良いというのがその原因で、あまり面白くありません。

 

金持ちはコンビニでムダな買い物をしないとか、長期的な視点で投資をするとかですね。ある意味で当たり前でつまならないです。

 

www.excite.co.jp

 

 

ところで、時間割引率に関して、経済学者によく知られている事実の中で興味深いのは、年をとると時間割引率が高くなる=短期的になる、というもの。ボクは昔からこの話を読んでいましたが、若い時代(40代までね)は、「そんなことホントにあるのかい?? 年をとったって未来を想像する能力なんて変わらないでしょ」とか感じていました。

 

でも、最近自分が年をとって感じるのは、確かに時間を高く割引くようになってきたということ。若ければ自分の人生はほとんど無限に続くように考えて行動するのですが、年をとって自分があと30年も生きないだろうと考えれば、長期的なことは確かにどうでも良いと感じられて来ます。

 

まあ もちろん遺産をどれだけか残すのも結構なのでしょうが、それにしても大した額は要らないように思われるというわけです。

 

どうなんでしょ? それでもボク的には、株式投資をするならSPDRの中で管理手数料(経費率)が0.03%のもの、SPTMとかを買うし、人にも勧めます。いくら年をとって未来がどうでも良くなって来たからって、ムダに金を捨てる必要もないですから。

 

 

www.rakuten-sec.co.jp

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ベンサムの功利主義と動物の解放

こんにちは。

 

シンガーの主張の中で「種差別主義」というのがあります。これは他の人間の苦しみを避けようとするのと同じように、痛みを感じるウシやブタ、イヌやネコなどの痛みや苦しみも避けなければならないという考えです。

 

動物の解放 改訂版

動物の解放 改訂版

 

 

おそらく これはボクを含めて多くの人がまったく実践できていないことでしょう。多分 日本人であれば、他の日本人が餓死・病死することを問題視して、何らかのアクションを実行することはありそうです。しかし、遠いアフリカのどこかで同じような状況が存在しても、同じエネルギーをかけて、同じことはしないだろうからです。

 

 

いやんや動物の痛みに至っては、正直なところ、ボクの人生で懇意になった日本人で、「動物の福祉のために 肉食をやめよう」といったのを、実は一度も聞いたことがありません。(ちなみにアメリカ人で出会った人には、かなりの頻度でそういう人がいたのは、むしろ ある種の驚きではあります。)

 

 

ベンサムがすでに女性の権利、さらには動物の痛みについて言及していますが、それを現代にさらに推し進めようというのがシンガーだと言えます。

 

それで この30年間 ボクはときどき考えます。19世紀に否定されていた女性の参政権が20世紀に実現したように、いつの日か、痛みを感じる動物の大量飼育がなくなることがあるのでしょうか?? 

 

www.hazardlab.jp

 

 

高齢者詐欺はあまりに多い

こんにちは。

 

長い間、世の中にあふれるバカらしい詐欺話、健康食品にフシギを感じる。ところが親が高齢になるにつれて、そうしたほとんど詐欺の健康食品の会社が どれだけ老人を食い物にしているのかがよく分かるようになる。実に、残念。

 

 

先日も 金氏高麗人参という完全なインチキ健康食品の会社から 実家に健康食品のキットが送られてきた。「なんで?」ということで、電話をかけてみると、どうやら先月あたりに母が電話勧誘に引っかかって、商品を継続購入することを了承したらしい(それも本当なのかどうかは、まったくはっきりしない)。面倒だし、仕方がないので、初回の料金は支払うことにして、今後の契約を解消してもらった。

 

https://www.jpnumber.com/freedial/numberinfo_0120_367_777.html

 

 

大学でも、新入生に何度も口を酸っぱくして繰り返している。「電話で勧誘してくる商品は、基本的にすべてが詐欺だ。絶対に契約するな!」 だって、「電話のオペレーターの人件費ってどれだけかかると思ってんの? そうした人件費のすべては、割に合わない商品の購入を、“説得”するために使われているわけ。商品の価値がないことは自明でしょ。」

 

 

実際、両親は、大は ほとんど世間に知られていない30万円の高麗人参から始まって、小は テレビCMでも よく知られている世田谷食品 キューサイの青汁まで、本当に多種多様な詐欺的健康食品を買ってきている。まあ、なんというか、人の言うことを信じるお人好しなのだ。騙しやすい老人リストには、必ず名前が含まれているんだろう。

 

 

さて、年寄りになると、あらゆることに対する興味が失われてくる。その反面、「自分の体内から生じる不快さ」のシグナルは、否応なく強まってくる。この2つが強めあって、勢い老人になると、健康食品の宣伝ばかりに目が向くようになり、実際に買うようになるのだろう。調子が悪くなると、誰でも藁にもすがりたくなるというのは、まったくよく分かる。

 

 

健康食品を売っている人には悪意の人もいれば、あるいは本当に善意を持って、高齢者のQoLを高めようとしている人もいるだろう。そもそも老人用ではなくても、健康食品というのはほとんどが ある程度は詐欺的な要素を含んでいるものだから、ますます難しい。

 

 

こうして世の中には 確かに悪意に満ち溢れた人もたくさんいるし、人はだれでも次第に認知能力が衰えてくる。とはいえ、この問題は、占い師に大金を払う個人の問題と同じではある。結局、ある種の条件で、未来の自分の意思決定の一部(または全部)を、誰かに信託するというような解決しかなさそうだ。

 

 

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メタ倫理学は興味深いが、、

今さら「入門」もないのだろうけど、ちょっと調べたいことがあって、久しぶりにメタ倫理学の本を読んでみました。この本は、ヘアの道徳哲学についての著作のある佐藤岳詩さんによる概説書。

 

とても良くまとまっていて、道徳哲学の学説をとても理解しやすい教科書です。オススメです。

 

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

メタ倫理学入門: 道徳のそもそもを考える

 

 

 

 

 

さてこの本はすばらしいものなのですが、それとは別にここでは哲学への苦情を書いてみようと思います。

 

 

道徳規範の哲学的な探求、認識論については、古典的な実在論からはじまって、実にいろいろな考えがあります。本当にいろいろというべきなのですが、そうした学説、いや認識論哲学全般に対して昔から感じてきたのが、「人間の個体的な認識・意識」を出発点として重視しすぎだという点です。

 

 

はっきり言って、ほとんどが現代的な意味での、自然科学的な世界観・人間観と整合的ではない。

 

 

違和感1.

 

例えば、「道徳規範が外在的に実在する」という命題について考えてみましょう。そんなことあるはずないじゃないか! と即座に思います。少なくとも、意識的な存在である自分と同じように家族、友人、他人たちが存在していることを前提として、さらにそれが進化の結果として生じた個体群だとしましょう(現在の常識的な科学的理解)。

 

 

すると、倫理規範が どこか人間の神経系と別に外在すると考えるのは、(神の実在と同じくらいに)バカらしく無意味な考えです。

 

 

つまり自然科学の視点からは、人間の道徳なんてヒトという種に固有の、相対的なものでしかなく、単に個体の活動に対する命令だということになります。(こうした考えは、道徳哲学では「道徳規範の司令主義」と呼ばれていますが、かなりマイナーな説です。なんで??)

 

 

脳内の道徳回路の形成には、個人によって個性もあれば、その強弱もあるはずです。例えば、トゥレット症候群なんかでは、意図しないうちに卑猥なジョークなどを発するという脳神経回路の異常を生じます。こういった特定の脳機能の異常は、特定の部位が損傷した際に発生することが多いのです。

 

 

サイコパスなんかは、おそらく共感の回路の形成が弱いか、持たないために、道徳哲学者の想定していない人格を形成しています。それは異常なのではなくて、おそらくヒトの行動戦略にはそうしたものもある、ということなのでしょう。タカハトゲームの裏切り戦略を採る個体です。

 

 

違和感2.

 

道徳哲学者のほとんどが、現代風の人間の道徳に普遍性があると信じているようなのもフシギです。ヒトラーサイコパスで、ユダヤ人虐殺をして邪悪だ、みたいなことがあたかも当然の普遍的な命題のように書いてあるのですが、これも正直ボクには良くわからない。

 

 

もちろん、現代の常識的な倫理観からはそう言えるのでしょうが、アレクサンダー大王や、あるいはユーラシア大陸で、少なくとも500万人を抹殺しつつ大帝国を築いたチンギス・ハーンが、果たしてヒトラーよりもマシな人間だったのかは良くわかりません。

 

 

アリストテレス奴隷制を肯定しているし、女には魂がないとか言って差別を肯定しています。おそらくネロやディオクレティアヌスのように大迫害をするのも、あるいはユグノー戦争なんかの宗教戦争で、対立する宗派を虐殺するのも、むしろ当時は賛美されているように思います。少なくとも、非道徳的・非人間的というわけではないでしょう。極めて人間的です。

 

 

結局、ヒトラーは20世紀の人だから、現代の基準という色眼鏡で判断しているだけのことで、他民族の大虐殺と大帝国の建設というのは、遠い昔からの人間の常識的な活動です。(望ましいと言っているわけではないですよ。念のため。)

 

 

違和感3.

 これは1の規範意識の個人差を考慮していない、という話の拡張なのですが、チンパンジーなら、チャンスがあればリンチで他集団のオスを殺すのはおそらく当然。ゴリラやトドなら一夫多妻制は当然。他の生物種でも、かならず固有の行動ルール=規範を持っているはずです。なんで 現代の人間(それもヨーロッパ基準)のものが普遍的なの??

 

E.O.Wilsonが「社会生物学」で1975年に書いているように、アリの社会の道徳規範であれば、生まれながらのカーストが当然で、あるいは太陽を嫌うような、人間とは完全に相互理解が不可能な倫理規範を持っているはずです。

 

 

人間にだってmicro differenceがあるはずです。例えば、アジア人は老人を尊敬するという孔子の教えが正しいと直感しているようだけれども、ヨーロッパ人は比較的そういうことを道徳だとは感じていない。こうした価値観の違いには、おそらく神経基盤の違いに対応しているはずです。

 

 

違和感4.

 

おそらく近く登場するロボットにしても、認知・行動プログラムに応じて違った「個性」、あるいは「道徳性」を持っているように感じられるはずです。だって、自動運転車はもう自律活動をするロボットと呼ぶべきですが、テスラとボルボメルセデスでは、だいぶ異なった自動運転=外界の認識+判断プログラムを組み込んでいるからです。さらには、一体、どの段階の認知力で、ロボットは自己認知して自我・自己意識を持つように、あるいは持っていると呼ぶべき状況になるのか?? 

 

 

なんと言うんだろうか、つまりボクの感じる哲学者への違和感というのは、その高い抽象性・論理性とかではなくて、むしろ他の生物行動への無知・無関心、あるいは脳機能障害を始めとした生化学的・医学的な知見の無視、さらにはプログラムを含むロボット工学の進展などへの無知・無関心なのです。

 

 

古代から続く哲学的な探求は有意味なものであって、まったくムダなんかではないと思います。それは知的にとても有意義だと思っているのですが、それはそうとして、もっとモダンに思索を前進させてもらいたいです。

 

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